2015年06月25日

島で暮らしはじめて二回目のこの季節が来た。
今年は、梅シロップと梅干し。控えめだ。
梅シロップはやすこさんが持って来てくれた豊島の梅。
梅干しは神山の友人、竜二さんの梅を去年から漬けている。

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一晩追熟させた朝、梅の香りが部屋中に広がっていてどきりとする。
何年経験してもこの朝が好きだ。

昼間、誰も来ないのを見計らって、梅を丁寧に拭いたり、なり口の軸をとったり容器を殺菌したりする。
今日は抜けるように暑くて、そして風が強くて、梅の作業に没頭しながら、自分の記憶の渦のに潜っていた。
ここが、どこなのか、もうわからなくなるくらいに...

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しばらくして、近所ではたけをやっているおっちゃんとおばちゃんがめずらしくご飯を食べに来た。
おっちゃんは私の父の事を良く知っていて、いろんな昔話をしてくれた。
それをおばちゃんはほんとうに楽しそうにコロコロと笑いながら聞く。
私はその2人を眺めているだけでとても幸せになったりしていた。

今日の天気みたいにあっけらかんと陽気に、彼らは過ごしていった。


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梅を漬ける作業を再開していたら、同世代の友人のゆみこさんが、貸していた傘とチョコレートを持ってふらり来てくれた。
話しをしていたら、小学生と、若い友人のまいちゃんが駄菓子屋さんへかけっこして走り抜けて行った。
ゆみこさんが帰ってふたたびまいちゃんたちが走って戻って来た。
「いいにおいー」と2人は少し立ち止り話しをする。
しばらくして近所のお兄さんの車が通って、また2人はそれを追いかけるように走って行った。

私はまた手を動かし、匂いに包まれながら、今まで通過して来た梅作業の事を思い出したりしていた。

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経験と記憶。
ひとはそんなことで己を造り、歳を重ねる。

はて、私はいくつになったんだっけか...

http://akirika.sblo.jp/archives/201407-1.html
http://akirikadaily.sblo.jp/article/38969485.html
http://akirikadaily.sblo.jp/article/16133885.html


去年漬けた梅はとてもまろやかでおいしい梅干しになってきた。
今年漬けた梅はどんな味になるだろう。


*

来週、随分久しぶりに沖縄へ行く。
友人の吉濱くんと沖縄で暮らす人を訪ね、珈琲をのみながら
沖縄を歩いて、見て、話して、今あの土地と人々がどんななのか、見てこようと思う。

行って帰って来たら、また報告します。

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これ4年前の写真、みんな若い、、
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2015年04月30日

ずいぶんとここをさぼっているのに、訪れてくれているひとへ
そろそろここをまた始めようと思います。


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2011年にアキラさんと、白い風船を持って、水戸の街をあるいた。
希望をめぐる堂々めぐり
http://akirikadaily.sblo.jp/article/48908506.html

*





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2月女川の雪の積もる山を歩いた。




今、これまで積み重ねて来た考察と、暮らしにおける実践を同時進行するこの島での日々は
考察と実践が、「実態」となって現れる日常、だったりします。




今私が暮らしている生活圏内にも当たり前にいろいろな径があります。
例えば、私の家から畑に行くのにも5つくらいの道の選択肢がある。
その道のどれを選ぶかによって、会う人も違うし、見る景色も違う。
小さな島ではほとんどが知り合いで、だからこそどのみちを通るかということにものすごくポリティカルな要素も含まれている。
それは私自身が誰と対話し、関係性が発生するかという事とともに、相手にとっては、「この道を通る人」という存在になる。
つまり私自身が「情報」になるのです。




最近、王余魚沢で2人の少女と「堂々めぐり」をしていた頃の事をよく思い出し、人に話したりもしています。
彼女たちは集落のいろんな道を本当に良く知っていたし、その道の「使い分け方」をとても熟知していた。


* *


小さな、固まったコミュニティに身体を置いてみたからこそ、見えてくる暮らしのなかでひっそりと横たわっている、集団的パラノイアのフレーム、みたいな事をここのところ考えています。


* * *


私は美術というものを信じる感情は、脈々とこの人類の歴史のなかで幾度ともなく繰り返されて来た、表現ー造形についての考察とともにあります。
そして私自身のこの島での実践が何重にも意味を含む示唆に思えて今なりません。

* * * *

そのことの考察を、ここで始めてみようとおもいます。


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2015年03月28日

夕方、世界が一瞬蒼くなる時に、白い花に呼び止められた。


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あたたかくなって、まどのまどを開ける気温になった。


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季節は巡る。

巡ってきて、ふとおもいだすことがあって、
人っていろいろ都合よく忘れるものだなぁ、などと思う。
そして人との出会いと別れもぐるぐる巡る。


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とても寒い日
いつか来るだろうとおもっていた人が島に来た。
私が今ここに居ることを文脈から理解してくれるだろうと予感していた人。
島を一人で巡り、畑を見て、薪割りをして
そして一緒に散歩し、伸びやかな表情をして再び旅路へ戻った。


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小さな幼を連れてまどに来る人
いつも詳しく話さないのだけれど、
いつまでも、対話してゆける予感のする人。
夜の残像とともに島を離れた。


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昨年末マレーシアを歩いた。
そのときに知り合ったアーティストがこの春に日本に来た
彼らとは使う言語は違えど、認識の上での共通言語を持ち、社会との関わり方としての表現を実践している。


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友達を数人紹介し、彼らは出会った。
それぞれの彼らの活動は常に励みである。


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私に新たな名前を付けた人。
時々まどを閉める時刻に彼女は仕事あがりの制服のままで訪れる。
近所の兄貴の店で買ったアイスクリームを持って、
お互いの日常に溜め込んだ四方山話しを姦しく話しながら、近くの浜まで歩く。
アイスクリームを食べきった頃に、「寒くなったね、帰ろうか」とか
お大師さんの桜を眺め「咲いたら花見でもしようか、」
なんて話しながらそれぞれの家に戻る。


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小さきものに耳を傾ける人。
二人で、虫の視線になって野山を眺め歩き、
秘密基地をみつけてこっそり箱を置いた。
歩きながら、いつかみた映画をおもいだしていた。


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遠い血縁の人がふとまどにやってきた
漂流と定住。
脈々と連なる人の縁。
今、私が情熱を傾けていることにとても関わりの強い人だった。



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この春で畑を開墾してから、丸二年が経った。
つまりこの島で暮らし始めていつのまにかそんな月日が経っていた、ということに少し驚きつつ
ひとつの港となってせかいを見る暮らしに没頭している。



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少し前に、とても尊敬する知人が書いたテキストを読んだ。
彼の希望、慈しみ、そして憤りを一つの塊にしたようなテクスト。


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多島海
そのことが孕む社会や文化の成り立ちに耳を澄ませ歩き今を暮らしたい。



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2014年11月16日

またずいぶんとここをさぼってしまった。


*

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物語り。
語られる話しについて。

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景色をきりとる。
「」或はアテンション を つけること。

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構築する力と脱領土する力。
人が造った物が如何壊れ、如何に残ってゆくか。


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造形。
そしてまた領土を持とうとする。

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* * *

蘭は雀蜂のイマージュやコピーを形作ることによって自己を脱領土化する。けれども雀蜂はこのイマージュの上に自己を再領土化する。
とはいえ雀蜂はそれ自身蘭の生殖機構の一部分となっているのだから、自己を脱領土化してもいるのだ。
しかしまた雀蜂は花粉を運ぶことによって蘭を再領土化する。
雀蜂と蘭は、非等質であるかぎりにおいてリゾームをなしているのである。
蘭は雀蜂を模倣していて、何か意味する仕方(真似、擬態、おとり、等々)で雀蜂の似姿を再生していると言うかもしれない。
これと同時にまったく別なことが問題になっているのだ――もはやまったく模倣などではなく、コードの捕獲、コードの剰余価値、原子価の増量、真の生成変化(ドゥヴニール)〔なること〕、蘭の雀蜂への生成変化、雀蜂の蘭への生成変化があって、これらの生成変化のおのおのが二項のうちの一方の脱領土化ともう一つの再領土化を保証し、二つの生成変化は諸強度の循環にしたがって連鎖をなしかつ交代で働き、この循環が脱領土化をつねによりいっそう推し進めるのだ。
リゾームはこれとまったく異なるもので、地図であって複写ではない。複写ではなく、地図を作ること。
蘭は雀蜂の複写を再現しているのではなく、リゾームのうちにあって雀蜂とともに地図になっているのだ。

千のプラトーより






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2014年08月30日

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数日前まで夕方になると鳶が美しく鳴いていたのに、その声を聞かなくなった。
巣立ちして、何処か高いところを飛べるようになったのだろうか。
刻一刻と日々は油断ならないくらい変化している。

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いつだっただろう、
近所に住んでいる父子が日も暮れて暗闇になりかけているのに、夢中になってボールを蹴り合っている光景を見た。
絶対的に私は関われない近くて遠い絵画のような美しい景色。
だがしかし、そこから想起される事は計り知れない。

自分自身の暮らしが、誰かの景色になることもある。

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この一ヶ月くらいは、ずっと誰かが同居していた。
こんな生活は数年ぶりで、どこまで起きる出来事に乗れるか、自分の筋力を確かめるみたいな毎日で刺激的だった。
例えて云うなら、波乗りとか、岩登りみたいに。(いや、実際はあんまりそんなことしないのだけれど...)


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たびたび島に呼びつけている、アーティストの吉濱翔も一週間滞在した。
去年の秋の滞在は台風に見舞われて、ワークショップはなくなり、そのかわり二人で嵐の島を廻ってフィールドワークした。
あのときになんとなく二人の共通言語となった「サウンドスケープ」について、なんらかの形にしたいと思ったのが私の目論見。
目論見がばれているのも知っているし、壊してくるのも判っている。
それをどこまで受け入れ、再構築するのかー 
それは吉濱くんのレジデンスに関わらず、多分島をリサーチしたり、島に来るいろいろな人を受け入れたりする活動は 再構築/脱構築を伴った、具体的且つ造形的な作業なのだと思う。
これまだうまくいえないのだけれど。

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滞在の最後に、一緒に直島へ行った。
デートでもバカンスでもなく、ガチで美術とは何だ?問題について考えるべく。
でも結局はもっともやもやして、宇野でちゃんとまとめようと入ったカフェでも、ぜんぜんまとまらなかった。

一方で、私自身がやるべき事はより明確になった。

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マイナーであり、ポリティカルであること。

応答、或は共鳴。
投げた小石の波紋は、彼方の対岸にぶつかってやがて此岸にうちよせる。




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2014年08月29日

8月はいつも慌ただしい。

慌ただしさの中で、昔のことを思い出したり、
この夏のことが不意にいつかなにかに響くのだろう
などとおもいながら、汗をかいていた。

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数年前に投げた小石の波紋が、色々な彼方の対岸にぶつかって、
そうして此岸に戻って来た。
これらのことが「応答」ならば、こんな刺激的な事はない。





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2014年07月13日

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女川という海の町に行ってきた。


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その海に面した町は私が暮らしている島からはずいぶん北の、太平洋に面した港町。


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その土地を歩き、暮らす人々と会い、話しをした。


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彼らは彼らの土地に対し大きな施しを試みている。
彼らの造形は、否応無くこれから先この土地に住まう人々へ引き渡す。
人間の土地。


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私は地名の女川(おながわ)について興味を持ち、何人かの人に尋ねた。
皆が教えてくれる話しは同じで、その話しにはこの土地から少し離れた里山のことが出てくる。
こちらから彼方へのおもいのようなものを感じる地名。
この川の水の源を辿れと云われているよう。
彼らはこの地名に何を隠喩しているのだろう。


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甲府の町には濁川という川がある。
人々の生活を流れる川。
私は濁川を辿って歩くのが好きだ。


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島に戻る。
大きな気圧を伴った雲が近くを通過する。
強い風がふき、海は大きなうねりをあげ、潮位が高くなり島を被おうとする。
潮は満ちたり退いたりして、いろいろな作用を島にもたらす。
そのことの歴史の中に私たちの日々はある、ということを女川から島に戻りずっと考えている。








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2014年07月01日

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夜、最終の船で島から島へ渡る。
誰もいない真っ暗な実家。
しばらく閉め切った部屋のあちこちの窓を開け、籠った匂いを放ち、普段は見ないテレビのスイッチを入れると画面からは東の友人たちが叫ぶ現場の映像。
そこに行けない自分にやきもきしながら、ずっと見ていた。
テレビを消して静かすぎる家が、さっきまで見ていた画面の現実とあまりにもかけ離れている場所のように感じて、すこしでも近づきたいと欲し散歩する。
それでもやはりあの渦がまるで異郷の出来事のように感じてしまう。
何故だろう、なぜここからは何も感じられないのだろう。




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朝、用事を済ませて戸締まりをして始発の船にのる。
港のコンビニで珈琲と新聞を買う。
海を渡りながら新聞に目を通し、今起きている事を文字で把握する。
そして今いる自分の場所にとっての現実を考えてみる。
私にとって国家間の武力を行使した争いについてのリアリティは無い。
ただし、あたりまえにこの島も、その時代を通過して現代がある。

ここでの生活のなかで、80前後の世代の人から戦前/戦後に触れた話しを聞くと「戦争」という単語に色味が伴う。
「島の西の浜に駆逐艦が停泊していた。」
「秘密部隊が訓練していたこともあったんじゃ。」
ある90代の人は、中国の中部に出兵し、自分が何処に居るのか判らない状態で終戦を告げられ最初は信じなかったという。
私の大叔父も南洋で船に乗っていたのだと、時々晩ご飯を食べながら訓練の時の話をしてくれる。
うちに亡くなった爺さんが出兵先から無事に帰ってきた祝いの杯がはいっぱいある。
まだまだいろんな話を私は聞いた。
戦争という社会的な変動は、どこまでもしつこく私たちの日常を被い尽くすのだと、彼らの話しを聞いてつくづく感じる。
そして彼らからは自らが経験した戦争のことを、世間が忘れない為に語ろうとする意志を感じる。




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島について、てしまのまどを開ける。
近所の同い年の女性がふらりと訪れる。
彼女は、颯爽と4人子供を育てている母。
ときどきほんとうにくたびれたときに珈琲を飲みにくる。
それでも話すことは子供の事ばかりで、嬉しそうに話しをする。

彼女が再び家事に戻り、しばらくしてもう少し若い小さな子供を抱える母たちが来る。
一人は小さな児におっぱいをあげながら、のんびりと話しする。
そのうちその児は眠りこける。
やがて漁師のおっさんがきて、魚の裁き方や食べ方の話しを3人でしはじめる。




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今日は7がつ1にち、半夏生一日前
皆が帰ってから梅を漬けた。
今年の梅は一段とおおきくていいにおいがする。
とても天気がよかったので、営業を終えてからもそのまま開け放って作業する。
小学生のプールの練習の声
行き交う近所のひと。




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今「国」という単位でなにを選択しようとしているのかー
そのことについてどう考えるのかここの人たちは殆どの人が語らない。
語らなければならないか、というと、必ずしもそうとも思わない。

許してはならない事を許してはならないと。
その事を貫く事は、とても力が要ること。
この島の人はそのことを経験している。


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豊かな時間を守りたいし、もっと追求したい。
私はそのことを貫きたいと思う。
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2014年06月29日

満月のフライト
私たちの暮らす大地は水にまみれていることを月と共についてくる映りこむ金色がしらせる。


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山に囲まれる街を水を辿り歩く。
滝と水力発電と下水道。

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回帰。
暮らす事への飽くなき欲望は、大地が通過した時間を造形力で模倣する。



* *



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島は
この季節はよく朝霧に包まれる。
重たい水分は島の形にそってある一定の重力にしたがって白く世界を被う。
辺りを行き交う船が、居所を報せるために叫んでいるかのように警笛を鳴らす。
四方から届くそれらの音が、今いるささやかな島を形成するかのように感じてしまうくらいに、
見通が効かない白く明るい世界の日がある。


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2014年06月10日

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ひとつの島が無人島でなくなるためには、なるほど、単に人が住むだけではたりない。


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島にかかわる人間の運動は、人間以前の島の運動をやり直す。


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もしそれが本当だとしたら、人々は島に居着くことができるが、


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そこはなお無人であり、なおいっそう無人になる。


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島にやって来る人間たちは現実に島に居着き、そこに住民を増やす。


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しかし、本当は、もし彼らが充分に分断され、充分に創造的であるのなら、


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彼らはただ島に、島自身についてのひとつの動的なイマージュを与えるだけだろう。


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島を生み出した運動についてひとつの意識を与えるだけだろう。


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その結果、島は人間をとおして、


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ついに無人の、人家のない島として自意識を持つに至るだろう。

Gilles Deleuze /無人島より



* * *


浜のえべっさんの日、朝からよっぱらいのおっさんが入れ替わり立ち替わり「まど」に来た。
飲んだくれのすけべ話の中に、普通にでてくる住民会議や組合の話。
暮らしのかなにある実践と関係性と経済。思想のまえの性分みたいなことで寄る共同体。

いや性分の成れの果てが思想なのかもしれない。


* * *


大きな力に触発され小さきそれぞれがそれぞれの造形的な行為を弄りこっそり記してゆく。
ここは物語の世界。
私は物語の渦中に居てそれを絶えず俯瞰している。時々高揚したり、とても怒ったりしながら。


* * *


いつも通りかかるだけのおっちゃんがまどに来て珈琲を飲んだ。
おっちゃんの発語について、前から気になっていたことを改めて自覚する。


焦ってはいけない。
物語とは壊されたくない何かを丁寧に包んで体では届けられないところまで飛ばす方法なのだとしたら
方法ー魔法ー芸術という仮説をたて、実践したいと思う。



* * *

ここの数日あちこちの友との会話。
この暮らしが、他者へのアテンションになる、という実感。
こちらの振動のさきにそちらがあることを知らせる共鳴。




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それぞれの踊りを踊っていよう。バラバラのままで。

posted by akirika at 00:17 | Comment(0) | 日々